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性別適合手術の保険適用について思うこと

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性別適合手術の保険適用のニュースが話題になっています。
「手術望む人には希望」 性別適合手術、保険適用へ(朝日新聞デジタル)

一当事者の私としては、たいへん歓迎すべきニュースですが、懸念の声、さらには批判的な意見もネット上では多く見られます。
この問題について考えてみましょう。

批判と懸念

非当事者の人々から批判の声が出るのは、予想通りともいえるでしょう。
「そんなことよりも、もっと苦しんでいる人々にお金を使うべきだ」。
簡単にまとめれば、そんな感じのものが目立ちます。
一方で、当事者や活動家といった人々からの懸念は、朝日新聞の記事にも見られるように、
「安易に手術に踏み切ってしまうのではないか。それよりも戸籍の手術要件撤廃を」というものがあります。
もちろんこれだけではまとめきれず、さまざまな論点があるとは思いますが、今回は上記2つの批判及び懸念の内容に絞ります。

GIDは病気

ときどき、
「性同一性障害は病気や障害じゃない。個性だ」
というような主張を目にします。
しかし私は、性同一性障害とは激しい苦痛をともない、死に至る危険すらある病気だと考えます。
私は子どもの頃、喘息をもっていましたが、GIDは、喘息に匹敵あるいはそれを上回る苦痛があります。
よって、喘息に薬が必要なように、GIDにもホルモンや手術といった治療が必要です。
では、「GIDは個性だ」と言う人々の主張は誤りなのでしょうか。
私はそれは誤りだとは思いますが、問題は、誤りの部分は「GIDは」という主語だと思うのです。
つまり、「(これを主張している)私のありかたは個性だ」という主張ならば正しいのだといえるでしょう。
私が思うに、「病気」を主張する人と、「個性」を主張する人とでは、そもそもその求める部分が違うようです。
マズローの欲求階層説というのを、聞いたことがある方もいるかと思います。
これは人間の欲求を5段階で表し、ある階層の欲求はそれより下層の欲求が満たされて初めて現れるとする考え方です。


この説に基づいて説明するなら、病気派はGIDを生理的欲求・安全欲求という下層の階層で捉えています。一方で、個性派はそれより高次の、社会・尊重・自己実現といった階層で捉えていると考えられます。
ちなみに私は欲求階層説を詳しく知っているわけではないので、これは一つのたとえのようなものと考えてください。

GIDとTの分離を

以上から私は、現在、トランスジェンダーとして括られている多様な人々を、病気としてのGIDと、個性としての非GIDに分けるべきだと思います。これは、病気として扱われ保険適用されることを歓迎するGID側にも、病気や障害扱いされることを拒む非GID側にも、双方にとってメリットがあると思うのです。
さらに言えば、現在LGBTのTとして表記されているものからGIDを分離してはどうかと考えます。
そして非GIDにあたる部分の人々、それをTとしてはどうかという提案です。

おわりに

冒頭に挙げた批判と懸念。これはGIDとTの分離によって、ある程度の解決の道筋がつくのではないかと思います。
つまり、GIDは苦しい病気なのでその治療に保険は適用されるべきであり、個性の人はそうではないということです。
もちろん、実際の個人を、どう分類するかという大きな課題はあります。また、手術はしたくないが自身を病気だと考え激しい苦痛がある人はどうするのか、など、細かな論点が山積みであることは間違いありません。

ただ、GIDを「個性」だとか、「自分らしさ」だとか、「ありのまま」といった言葉から切り離し、病気・障害といった概念として見ていくこと、それが必要だと考えます。

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