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オトコとは◯◯という信念の限界

ブログ名:クノタチホのブログ

仕事が最悪の状態の時に妻が出て行きました。

そして、自分で洗濯をして、自分で掃除をして、自分のために、ご飯を作るはずもなくやたらとインスタント食品を食べながら1人で食べて過ごす日が続きました。
悪い時に側に居て支えてくれるオンナでは無く、悪い時を許してくれないオンナを選んだボクは、自分の選択が間違っているとは思いませんでした。
自分を追い込んで、追い込んで、追い込んで、結果を出すというパターンをずっと子供の頃からやってきました。
世の中には自分よりも強くこのパターンを頑なに守っているストイックな連中が居るというのが、ボクの中の慰めでした。
ボクは、ボクなりに、ボクの限界を探ってきたのです。
それがボクの中でのオトコらしい在り方だったからです。
オトコらしい、オトコらしくないというのがボクの価値観としてはとても、人生において大切な価値観である事は、ボクが末っ子の長男だった事と関係している事に気づいていませんでした。
それは、親の期待というのが、ボクにはとても重荷になっている事にすら気づかずに、がむしゃらに前だけ向いて進んで来た人生だったからです。
辛いだとか
不安だとか
悲しいとか
寂しい
って感情に蓋をしていた訳では無く、感じる暇が無かったというのが正しい表現かもしれません。
もしくは、自分の中でその感情と向き合うのが、ホントはとても恐かったのかも知れません。
オトコらしく生きるというのは自分の感情を押し殺して生きる事であり
オトコらしく生きるというのは自分の感情に負けずに生きる事であり
オトコらしく生きるというのは自分の感情を人には見せず生きる事であり
オトコとは◯◯という多くの観念がボクの人生を支配してきました。
それは、息子に借金の返済押し付けくる鬼のような親の教育のせいなのか、ボクを柔道で県優勝させてくれた柔道部の鬼監督のせいなのか、社会に出てからノルマと目標を達成するためにケツを叩いてくる鬼のようなマネージャーのせいなのかわかりませんが、人生で出会った鬼のような人達に、鬼のように育てられて、オトコらしさという鬼のような仮面を知らず、知らずに、作り上げ、それをかぶり続けてきた事に気づいたのは、会社が最悪の状態で、共同経営をしている松山の、自分とは余りにもかけ離れた価値観と選択を目のあたりにした瞬間の事でした。
ボクは半分鬱に近い状態に陥りながらも、クーデターでぐちゃぐちゃになった会社を立て直す事を諦めるわけにはいかないという考えでいました。
そんな時期に松山から突然告げられたのは、
『おれ、来月から1カ月フィリピンに語学留学に行くわ』との事でした。
このタイミングで何故フィリピン?
とボクを始め残された全従業員が感じた事でした。
この衝撃の行動が、今まで抑えてきた感情の蓋が開いたのを今でもハッキリ覚えています。
怒りの感情
悲しい感情
虚しい感情
色んな感情が込み上げてきました。
今だからハッキリいうと、会社が混乱して、会社が最悪の状況の時に、松山は海外に『逃げた』のです。
1人、日本に取り残されたボクは、孤独を感じていました。
余りにもボクがボクを縛ってきたオトコらしさという価値観と、松山の価値観が違う事を改めて知りました。
余りにも残酷な現実にボクは向き合う気力が無くなったのです。
姉は、母親の責任を放棄するために首を吊ってあの世に逃げました。
妻は、夫を支える責任を放棄するために、ボクをおいて実家に逃げました。
親友の松山は、経営者の責任を放棄するために、ボクをおいて海外に逃げました。
『逃げる』という選択がとてもネガティヴに感じていたボクの価値観の裏側にあるのは、オトコとしてのプライドでした。
もうこのままオトコらしさにこだわって生きて行く事に限界を感じました。
ホントにオトコに生まれた事を恨んだ瞬間でした。
そしてボクのオトコらしさにこだわる生き方が、ボク自身を苦しめている事にもこの瞬間気付きました。
『オトコらしさ』なんてまっぴらだという心の叫びが内側でコダマするのが聞こえてくるようでした。
このオトコらしさという価値観に対する嫌悪感が、これから起きる不思議な出来事の始まりでした。
オトコで在る事の嫌悪感が、オンナの自我である、アタシの目覚めだったのです。

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