トランス女性へのトイレ利用制限措置は違法。経産省事件の当事者が伝えたかったこと
「あなたが女性トイレを使うのはセクハラですよ」
経済産業省で働くMtFトランスジェンダー(※1)のA子さんは、ある日人事担当者からそんな一言を告げられた。職場でカミングアウトして女性として受け入れられるようになって、すでに3年が経っていた。A子さんは人事担当者から「性同一性障害の人の権利よりも女性の権利が優先されるんです」とも告げられた。
2019年12月12日、A子さんを原告とした裁判に判決が下された。それは、トランス女性に対するトイレ利用制限措置は違法だとする初の司法判断だった。この記事では、訴訟にあたってのA子さんの思いについて述べた上で、冒頭の問題について論点を整理し、最後に未来の社会像を考えていきたい。
(※1)出生時に男性と割り当てられたが、性自認が女性の人のこと。
◆「女の子になれますように」祈った子供時代
A子さんがこっそりと妹の服を着始めたのは、小学校の中頃からだった。小学校高学年になると、毎晩お祈りをするようになった。
「明日朝起きたら、女の子になっていますように」
20代後半になってやっとトランスジェンダーや性同一性障害という言葉を知ったとき、自分が長年考えていたことはこれだったのか、とA子さんは思った。それでも、性別移行には時間がかかった。20代後半から女性ホルモンの投与を開始し、30代後半になってやっとパートタイムで女性の格好ができるようになった。
◆職場でのカミングアウト
40歳の夏以降は職場でカミングアウトし、女性として働くようになった。10年以上前に、同じような経験――男性として就職した後に女性として働き始めるという、いわゆる「在職トランス」――をしたトランスジェンダーの友人たちの事例が後押しになった。
女性として働くことが認められるまでには紆余曲折があった。最もショッキングだったことは、産業医からの発言、「経産省で女性として働くのではなく、タイに行って、とっとと闇の病院で性転換時手術を受ければいいじゃないか」だった。
一方、協力してくれる人々もいた。当時の人事担当者は、「在職トランス」の事例がある他社に処遇の状況等をヒアリングするなど真摯に対応してくれた。省内の根回しもしてくれて、結果、女性としての勤務が認められた。
このときの条件が2つあった。1つ目は部署内で説明会を開くこと、そして2つ目は2階以上離れた女性トイレを使用することだった。
「男性として働いていた自分が、全く説明もないままに、いきなり女性として出勤したらみんなが驚いてしまうから、最初だけは説明が必要だろうと思ったんです。また同じように、いきなり女性用トイレでばったり会ったら驚かれるかもしれないから、当面の間はトイレのことも仕方ないかな、とも思いました」とA子さんは当時を振り返る。
ついに初めて女性職員として出勤した日、周囲は暖かく迎えてくれた。女性として働けることでA子さんは気楽な気持ちになれたという。また、他のフロアにいる女性職員の側からも、女性トイレを利用することに関する不安の意見などは出なかったそうだ。
しかし、しばらく経った後、直属の上司であった管理職からこんなことを告げられた。
「なかなか手術を受けないんだったら、もう男に戻ったらどうか」
「いつになったら手術を受けるんだ」
新しく替わった秘書課の人事担当者からはこう告げられた。
「人事異動後に女性トイレを使用するためには、戸籍上男性であることをカミングアウトする必要がある」
これらの発言は、健康上の理由で性別適合手術を受けることのできないA子さんに対するハラスメントといっていいだろう。その他、(実際にはこのケースでは適用されない)法律の根拠をいくつも挙げては、同じ階の女性トイレの利用を許可することはできないという発言が繰り返された。
その結果、A子さんは鬱病になり、1年以上休職することになってしまった。
◆裁判、そして一部勝訴
A子さんは、人事異動後にカミングアウトをせずに女性トイレ使用を求めること、それが法令違反には当たらないこと、他の女性職員と原則として平等の処遇にすることなどを求めて行政措置要求(※2)を訴え出たが、却下という判定をされた。その判定を取り消すためには裁判しか残されていなかったため、2015年に東京地裁に訴えることとなった。
裁判では同時に2つの事件が併せて争われることになった。行政措置要求の取消請求と、管理職や産業医によるハラスメント発言に対する国家賠償請求だ。
判決までに実に4年1ヶ月かかった裁判だった。労働事件での弁護士費用は通常でも数百万円かかる。全面勝訴したとしても、必ず赤字になることは覚悟していた。それでも、泣き寝入りだけはしたくなかった。
結果は一部勝訴。トイレ利用制限措置は違法であるとの行政措置要求の判定の一部取消、そして「男に戻ったら」発言も違法と認められ、132万円の国家賠償が命じられた。全面勝訴とは言えない内容であったが、それでもA子さんは、トランスの雇用や労働環境改善の一助にはなったはず、と感じた。
現在A子さんは控訴審を戦っている。主に、他のハラスメント発言についての違法性が認められなかったからだ。
(※2)国家公務員が人事院に対して、勤務条件について行政措置を求める手続き。
◆トランス女性の女性専用スペース利用について
そもそも冒頭の上司の発言のように、トランス女性が女性専用スペースを使用することはセクハラに当たるのだろうか。そのとき、「性同一性障害の人の権利」と「女性の権利」が衝突していて、「女性の権利」の方が優先されるべきなのだろうか。
実際、2018年のお茶の水大学のトランス女性受け入れ決定(※3)を皮切りに、反トランスジェンダーの議論が巻き起こっている。ここでは、反トランスジェンダーの議論を整理して、その非合理性を明らかにしたい。
トランス女性が女性専用スペースを利用することがセクハラに当たる理由として、よく挙げられるのが、性犯罪が増えるということだ。本当に性犯罪が増えるのだろうか。
CNNの記事によれば、2017年3月までにアメリカの19の州でトランスジェンダーが性自認に応じた公共施設を利用できるようにする差別禁止法が定められているが、その法律の発効以降も、トイレにおける性的暴行の報告はなかったとのことだ。
また、果たしてトランス女性を装って性犯罪を行った人がいたとして、責められるべきはトランス女性なのだろうか。明らかに、責められるべきは性犯罪の犯人その人である。
女性専用スペースは女性トイレだけではない。温泉や銭湯の女湯も問題に挙げられることがある。これに関しては、議論が捻じ曲げられているといっていいだろう。なぜならば、トランスジェンダーの活動家も、性別適合手術前に女湯に入ることまでは求めていないにもかかわらず、反対派がまるで活動家がそれを求めているかのようにして、批判している状況があるからだ。
(※3)実際の受け入れは2020年度に開始した。
◆「女性の権利」と「性同一性障害の人の権利」
次に、「女性の権利」が「性同一性障害の人の権利」に優先されるのかどうか、について論じたい。まず「女性の権利」と「性同一性障害の人の権利」は別のものではない。なぜならば、トランス女性は、女性の一部だからである。それを対立するもののように捉えている時点で間違いだといえるだろう。
トランス女性を女性と認めない議論は古く、1979年の『トランスセクシュアル帝国』という反トランスの著作のなかでも、「女性と同じ歴史を持たない」としてトランス女性は女性という枠組みから排除されている。しかし、実際にはトランス女性が被っている抑圧は非トランス女性が被っているものと重なるものが多い。たとえば、セクシュアルハラスメント、性的暴行、あるいは単に見下す視線。
さらに、ジェンダー(※4)をなくす方向に世の中が動いているのにも関わらず、あえて女性/男性に移行しようとするトランスジェンダーを批判し、女性/男性と認めない声も聞かれる。ジェンダーがなくなるなら、性別移行する必要もなく、また性別移行はジェンダー規範を強化する悪だ、というのである。
だが、ジェンダーが果たして本当になくなる日が来るのだろうか。そんな起こるかどうかも分からない未来まで、トランスジェンダー当事者たちは首を長くして待たなければならないのだろうか。また、女性的な格好をしているシス女性もまた多いにも関わらず(そのことは全く悪いことではないし)、トランス女性だけにジェンダー規範強化の責を負わせるのは差別だとしか言いようがない。
(※4)社会的に構築された「女らしさ」「男らしさ」のこと。
◆未来のトランスジェンダーの子どもたちへ
トランスジェンダーが生きやすい理想の社会について聞くと、A子さんはこう答えた。
「偏見がなく、プライバシーが守られる社会ですね」
トランスジェンダーに対しては、認知が広がったとしても、まだ偏見は多い。興味深い存在として、詮索や奇異の目の対象になりがちだ。単に認知が進むだけでは足りず、トランスジェンダーが存在することが当たり前で取り立てて騒ぐことではない、そんな社会になるとよいのかもしれない。
また、プライバシーに関しては、身体の性や戸籍上の性をみだりに開示させられることのない世の中が求められている。たとえば、直近では履歴書の性別欄がJIS規格の様式例から削除された。このように、身分証明書やアンケートでも性別欄が消される未来が来るとよいだろう。職場においてはすでに、改正労働施策総合推進法に基づき優越的な地位にある者がアウティングした場合はパワハラに該当すると示されている。
最後に、A子さんが未来のトランスジェンダーの子どもたちへ向けた一言を紹介して、この記事を締めくくりたい。
そもそもトランスジェンダーの存在すらあまり知らない人もまだまだ多いからな~
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