「LGBT」は危険な表現
性的マイノリティを指す言葉として「LGBT」が日本でも徐々に浸透しています。この言葉は「L(レズビアン:女性の同性愛者)、G(ゲイ:男性の同性愛者)、B(バイセクシュアル:両性愛者)、T(トランスジェンダー:心の性と体の性が一致しない人)」を端的に表していますが、同時に、人びとに誤解をあたえる危険な表現でもあります。というのは、ひとりひとりの「性」のありかたは皆ちがっていて、わかりやすい所では、LGBは「性的指向(恋愛対象)」を表しますが、Tは「性自認(自己の心の性)」を表します。性的指向と性自認は無関係ですので、これらを「LGBT」とひとくくりにすると、当事者ではない人を混乱させます。また、恋愛対象が存在しない人や性自認が男女のどちらでもない人などもいるため、「LGBT」という言葉を使う場合は十分に気を付ける必要があります。私の「性自認」と現状
専門医から「性同一性障害」と正式に診断を受けている私の性自認は「女性」です。この診断を受けた人は、次の段階、すなわち「身体的な治療(ホルモン療法、性別適合手術)」へ進めるようになります。これらすべてをクリアすると、日本では戸籍の性の変更が可能になるのです。逆に言うと、性別適合手術をしていない人は、現状の日本では、戸籍の性を変更できません。そのひとりの私も、戸籍の性は「男性」のままです。リアル・ライフ・エクスペリエンスといって、女性としての日常生活を確立している私は、戸籍謄本などの公的書類を気にしなければ、まぎれもなく「女性」です。しかし、主観的な見解で「私は女性です」と言い切ったところで、客観的な視点では「いや、あなたは男性でしょう」と思われることも少なくありません。「他者から見た私」と「自分から見た私」の差を少しでも小さくするためには、私自身がそうですが、当事者自身の日々の努力は欠かせません。外見はもちろん、内面的な部分でも女性らしさを身に付けていく。その両方を同時進行で生涯つづけていくことが皆さんにも私自身にも「わたしらしく」につながると感じています。私の「性的指向」と現状
結論からいうと、この点についての私の答えは「わからない」です。理由は、今まで好意をもった人を思い出してみると、女性だったこともあれば男性だったこともあり、はたまた、その人が自分の性を男女のどちらでもないと感じていたケースもあるからです。私が人を好きになるいちばん大きな要素は、相手の「人となり」です。ですので、その人が社会的に割り当てられている性が何だろうと、私にはほぼ関係ないといえます。現状としては、仮に私が結婚を考えた場合、自分の戸籍の性が男性ですので、戸籍の性が女性の方でないと、同性婚が認められていない現在の日本では成り立ちません。その際、自分の戸籍の欄に「夫」と表記されてしまうので、その段階で「同棲はあっても結婚はないな」と思っています。パートナーをみつける前にどうこう言う話ではないですよね。終わりに
性的マイノリティとして自分が存在している事実を、以前はネガティブなとらえかたしかできませんでした。幼稚園児の頃すでに「友だちのように普通の女の子に生まれたかった」という思いが強くあり、男の子の体に自分を生んだ母を恨んだこともあります。ただ、性的マイノリティでなければ経験できなかった(良くも悪くも)たくさんの経験を通じて、今は「このようなかたちで生まれてよかった」と、ポジティブ、とは違うかもしれませんが、自分を受け入れられています。さまざまな障害をお持ちの方がいろいろなコラムを読まれていると思いますが、自身の障害とうまくやっていくのもいかないのも、自分の心持ちひとつ、かもしれません。
世の中なんてそんなものだ。とはいえ、Tの理解と整備は進んできているので、LGBTというよりは
「トランスジェンダー」というくくりで語られる文脈も増えてきてる。
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掲載元:「LGBT」は危険な表現