ブログ名:三橋順子先生ブログ
3月10日(日)
1945年(昭和20)5月17日、アメリカ軍が撮影した新宿の空中写真。
黒っぽく見える地域は焼け残っていて、白っぽく見える地域はすでに焼けている。
四谷方面は、4月13日の空襲で焼けていて、新宿2丁目と1丁目の境界の道路、新宿通りで焼け止まったことがわかる。
右上の(現在の)歌舞伎町方面も焼けているように見える。
靖国通りの北側は、番衆町(現:新宿5丁目)は焼け残っているが、東京医大あたりから四谷寄りの富久町は焼けている。
「新宿遊廓」(新宿2丁目:下図で赤で囲った部分)はまだ焼けていない。
遊廓の西側に直線上に、南側に、白っぽい所が見えるのは、延焼防止目的の戦時強制疎開か。
しかし、焼け残っているエリアも、8日後の5月25日の空襲(東京山の手大空襲)で灰燼に帰す。
それにしても、これだけ精密な空中写真を、やすやすと敵機に撮影されている(B29により高高度偵察飛行)のだから、敗戦はもう必然だった。
1945年5月17日の新宿
1945年5月17日の新宿
三橋順子先生ブログ